美大卒が医療系で働いている話

アラフォー女子(子?)美大スキルを消失しながら医療系で仕事をする

あと数か月は休職、リスクヘッジの発想がなかった話

先日メニエール病のかかりつけ医に受診してきた。まだ不調の日もありつつ、数か月まえよりはずいぶん良くなってきた旨を伝え、仕事について聞いた。私の仕事がお客さん相手の仕事で、自分のペースで仕事ができない業種なので、今無理をして仕事するとまた悪化するかもしれない、のでもう少し休みましょうとのことだった。もし私の仕事がデスクワークで、社内の人としか関りがないなら「今ちょっとだけ休憩させて」とかできるのだが、お客さん相手に待ってはできないので、まだ焦らず行きましょうと。

最近よくコラムやエッセイを読むのだが、ハッとする言葉がよくある。昨日読んだものにも「無理をして出来ていたものはいつか破綻する」「無理をしないことがリスクヘッジ」とあって、無理をすることは通常はやらないことなんだなと気づかされた。

 

以前は総合病院で受付と算定をし、今は薬局で受付をしている。ドラックストアの中にあるので、そっち側の(正直関係ない患者以外の)お客さんの相手もしないといけない。今はこの仕事で復職するつもりだし、病気に理解のある職場を離れるほうがストレスになりそうなので、まだしばらく続けるつもりでいるが、60歳だか70歳までこの仕事をやるのかといったら考えないといけないと思う。

もしかしたら夫の収入具合や、このまま子供をつくらないか、資産運用の具合がよくてとかでフルタイム勤務は免れるかもしれないが。幸いに一生フルタイムで働かないと家も無くなる、みたいな切羽詰まった家の出ではないので死ぬことはないだろうが、いかに無理をせず、なにより健康で生きていくことを強く意識せざるを得ない療養期間を過ごしているので、健康を損なわない働き方について悩んでいる。

自分のようにストレスを感じやすい人間には、医療機関で働くことは一生ものにはしないほうが良いのではと思う。今の同僚や上司はいい関係なのだがいかんせん患者相手はストレス無しに相手できない。あと今回のコロナ流行で命に触れるところで怖いなと思った。なんせ私たち事務は素人なんだから、一般人が不安がって怖がっている気持ちと何も変わらない。ただ仕事のおかげで正しい情報が入るし、デマに触れなくて済むというくらいだ。まあそれも当時からとてもありがたいことだったけれど。しかし物理的にコロナウイルスと触れる機会が一般人より多くなる状況はほんとうに怖い。

しかも私は身内に事務方以外の、資格を持ったほうの本当の医療関係者が多くいるのだから、物理的にウイルスに接触するような仕事はやめて情報は身内から手に入れるのが一番安全なんじゃないかと思う。気管支もアレルギー体質で弱いし体力も元々無い、虚弱なんだからリスク回避を考えとくのも選択のひとつだったかもしれない。今のところは感染せず済んでいるものの、そのために神経をすり減らしてまたストレス要因を増やしていた。今こうやって数か月休職していて、家にいると世間でインフルエンザと同時流行したとかニュースでやっていても他人事のように捉えていた。まあ療養してるんだから社会と隔絶していたわけで、それはそうなんだが、ああこうやってある程度隔絶した状態で働きたいなと思ったのだった。

 

他人を変えることができないとわかっていても、未だにお金を出すときに指をなめる老人に出くわすと心底がっかりするし嫌だなと思う。総合病院にいたときも人間って嫌なやつ多いなと思っていたけど、今回の新型コロナで余計に他人の振る舞いが気になって嫌になってしまった。こういう部分でストレスとならないようにできないと、また今後災害級の出来事があったときに自分がやられてしまうだろう。自分が強くなるか、自分に合わせた生き方をするかといったら、後者に決まっている。

今の現状と、選択をする上でのメリットとデメリットを考えていこう。とりあえず「今」は今の職場に復職することを目標にして、焦らないことを心掛ける。

死は身近だと実感するべきか

タイトルが仰々しいが今死にたいとかそういう話ではないのでご安心を。この言い回し「死が身近ですか?」はなんか好きだ。NHKのノンフィクションでphaさんや小林銅蟲さんが出ていた回で、インタビュアーが言ったセリフだ。「単純に死ぬことには気を付けている」と言っていた出演者にこう放ったのがなんかツボで、ずっと覚えている。

 

先日、夫の姉が亡くなった。まだ40代だった。その一週間後に、私の祖父が亡くなった。こっちは90代の大往生だった。でもまさか、一週間で2人もの死に触れることになろうとは。祖父は年齢が年齢だし、入院をしていたのでそろそろかもしれないと思っていた。義理の姉も、ご病気で長くないことはわかっていた。わかっていても、死は実感し難い。こんなとき精神にくるのか、訃報を聞いたときはクラクラしてめまいが悪化したように感じた。

 

メニエール病のめまい発作を繰り返していたとき、これが死ぬまで治らなかったらどうしようと思っていた。発作が起きなくなってきても、日常生活がなかなか取り戻せず(今も休職中であるし)自分は何のために生きているんだ、つらい。と思っていた。平均寿命まであと50年くらいあるし、どう生きていけばいいんだと。先に親は死ぬし、夫に頼るのも申し訳ないし、長い。どうしようと。

 

しかし死は誰にいつ訪れるかわからないと、今回のことで少し実感した。方や大往生。方や若くして病死。自分がどっちであってもおかしくない。

人生とは。

先々に何があるかわからないとはここ数年で実感した。20代は割と好き勝手やれたし、結婚もできた。海外旅行もした。結婚したから実家を離れて、家事などのスキルをどうにか身に着けようとがんばっていた。結構先が明るくて、あの時は先々のことなんて深くは考えてなくて、せいぜい数年先までのことしか考えてなかった。そしたら言わずもがなコロナのせいで世界は変わり、自分も病気してしまった。

 

今は体調が万全でない為か、40代、50代、60代になる自分が心配でたまらない。めまい発作の時に動けなくて、お手洗いからベットに横になることからすべて介助してもらった経験が、まるで高齢者になって介護されている気分になって、「これがいつか来る未来か」と思っていた。もしかしたら頭もはっきりしなくなって、ここまで苦痛を感じないかもしれないけど、頭だけ冴えてる老人もいるから、なんとも言えない。ただ生きるってつらいなと思っていた。

死を意識することで今を大切にできるみたいな言葉はよく聞く。

いい意味でそういう風に死を捉えられたら良い。今の自分は、まわりに死が続いて、自分自身も微妙に体験してしまって、中途半端に死を考えてしまっている状態かもしれない。今を大切に生きる、とはなにか。ずいぶん回復してきたけど、まだ万全ではないし、もしかしたら以前のような何も気にしなくていい万全、なんてこないかもしれないのに。体調が悪い今、をどう過ごしたらいいか。よくわからないまま、初発から四か月くらい経とうとしている。

 

ふとした時に、早くして亡くなった方の記事や、書籍などを見るとこがある。34歳で亡くなった小説家の伊藤計劃さんについてまとめたムック本や、さっきはネット記事で40歳後半くらいで亡くなったサッカー選手の柳 想鐵さんについてを読んでいた。一昨年は私の友人が50手前で亡くなっていて、その人のTwitterが残っているので、ふとした時に目に入る。

もう少しいい意味で死が意識できることで、今生きることが大切であることが身に染みるようになりたい。また本を読んだり、思考をすることで前に進めたらと思う。

 

それにしても、葬式は雰囲気で泣いてしまうから困る。もし関係の薄い人の葬式であったとしても、泣いている人を見て泣いたり、悲しみを演出するあの雰囲気で涙が止まらないのだ。故人を思って純粋に泣いているのか空気で泣いているんだか。故人との距離感で涙の量を決めたいものだ。こればかりは子供のときからそうなので私の気質っぽいが、年を取ったんだからもう少しどうにかなってほしい。

最近は病気で休職している話

花壇は好きだ。花の名前わからないけど


大学に行かないといけないくらいのそこそこ裕福な家で育って、学生時代のまわりも似たような水準の人間ばかりで、貧乏人なんていないし、私立のゆったりした女子高出で、なんかお嬢様というかぬるま湯というか、つまりストレス耐性の無い人間だったわけで、そんな自分が社会に出たところはありとあらゆる前世代の人間が集まる総合病院だった。事務方以外の働いている人はミスの許されない医療のプロフェッショナルばかり。

 

こんなスキルなしの自分が、それでも働くなら医療の端っこでも貢献したい、患者つまり困っていて助けが必要な人のためになりたいとその世界に入った。選択そのものに後悔はないし、微力ながら貢献できたと思っている。安月給だけどこれが社会で役に立ってお金をもらうことなんだと、充実していた時もあった。

 

ただ、ストレス耐性が低い自覚がなかったことと、ストレス発散の手段が乏しかったこと、あと働く場所の見極めが甘かったことが良くなかった。

 

現在は昨年の11月に発症したメニエール病によって休職を余儀なくされている。

 

今はこうやってブログで文章を書こうと思うくらいには回復してきたし、もう少し体調が良くなれば復職できるだろう。今も無理をすれば働けるとは思う。

この「無理をすれば」の基準がおかしかったと、今となっては思える。

あまりに忙しくて、それでも無理をしてもやっていけてしまっていたツケがここで回ってきている。ただ20代の体力と気力で出来てしまっていたという自覚がないまま、30代になって働く時間こそ短くしたものの、自分へかかっているストレスの重さに無自覚なまま「このくらい平気」とばかり働いてしまっていた。だって他の人はもっと忙しいし、もっと年上の人だって同じように働いてるじゃん。このくらい普通だ。なんてね。

 

まったくもって平気ではなかったらしい。まわりの人と比べてどうのこうのではなく、私自身がどう感じ、どう体調に変化があるのかという目を自分に向けるべきだったのだ。

 

メニエール病はどう考えてもストレス病である。主治医からの話は、病気そのものの説明よりメンタル、つまりストレスをいかにするかについてが多く割かれている。ストレスがあるのは人間誰しもそうで、ストレスを感じることが悪いのではなく、それをいかに発散させ溜め込まないことが大事とのことだ。

私ってストレスを感じていたんだ。体に出てくるくらいに。

なんて無自覚だったんだろう。今にして思えばストレスエピソードなんていくらでも出てくるし、ストレスが元という病気には他にもたくさん罹ってきた。この時に、自分はストレスに弱めなんだなとか、もっと発散しようとか出来ていればよかったのかもしれないけど、若かったからわからなかった。

 

まあ最大のストレスの原因はコロナ禍だと思うし、なるべく自分のせいでこうなったんじゃないと思うことにする。

 

体調が悪いと日常生活に支障が出て、思うように体が動かなくて、どんどん精神にくる。今まで絶対に治るような病気しかなってなかったから(アトピー性皮膚炎は治らないけど、体質に近いところがあるから苦ではない)、こういう「これをすれば治りますよ」が確立していない病気は本当に辛い。今でも一番キツイめまいがしていた時を思い出すと、泣けてくるし二度とあんな目に遭いたくないし、でもまたなったしまったらどうしようという不安は常にある。

今は考えすぎないように本やエッセイを読んで、なんとか前向きになれるように過ごしている。単純に冬から春になって暖かくなってきたことも良い方向に作用しているだろう。外出できるように回復してきたことも大きい。読んだ本の中にこうやって自分の考えを書くことが頭のもやもやや、悩みを整理するのに有効との内容が、結構いろんな媒体で見かける。なのでこうしてブログで吐き出すようにした。

一番背中を押したのが、人間はダメなところや失敗談が面白い。という記述だった。確かに。それを世の中に出して読み物として、楽しめるものになっている作品はたくさんある。もっと「やってしまった」経験を面白く昇華したいものだ。今まではなんとか消そうとしかしてこなかったから。

 

にしてもパソコンで文章を打つのはあまりしていないので、まずパソコンを立ち上げるのに気力がいるな。肩が凝ってきた。スマホで書いてもいいけど、書いたものの全体像がわからない気がしてまだやっていない。ずっと続けられたらいいなと思う。

私は誰か(自己紹介

「もんさん」はアラフォーの女性、既婚、子なしで割と都心部に住んでいる。新卒から医療事務で、総合病院で7年強勤務して、今は薬局に4年強いる。

子供のときからアトピー性皮膚炎もちで、よく風邪をひき、喘息になりかけ。幼少期からしょっちゅう病院に行ってるので、働くときはそっち系かなという感じで決めた。だけじゃない。家族が医療系なので、世の中に出るときに資本主義な世界が想像できなかった。モノを売って、利益を得て、収入になるという構造。モノが売れるためにみんながんばっているわけだけど、自分が働くときにどうしてもそこに入れなかった。

 

医療系で働こうと決めたといっても、それは就職活動の時に悩みまくってやむなく決めたという感じだ。だって美大に入って楽しく将来のことなんて考えずにいたのだから。浪人までして美大入って、美術系の仕事につかず最低賃金で働く医療事務についた。

こんな経歴話そうものなら「なんでそうしたの?」の質問攻めに決まってる。だから必要に迫られなければ誰にも明かしていない。理由の説明は出来る気がするが、結果だけ見たら

 

高い金出してもらって浪人して美大に入り、特に技術やスキルをモノにできず「誰にでもできる」医療事務で安い賃金で働く、安い賃金でも何とかなる太い家柄の子なのね

 

って感じだろう。まあ医療事務の給料が安いのが知られているのかは不明だけど、なんで美大まで行ってそっちの仕事やらないの?が普通の感覚だろう。

 

だって美大に入るとき就職のこと考えてなかったんだもん。大学に行かない、は選択肢になくて(親的にも高卒はありえないという考えで、僕も高卒で働くなんて考えてなかった)かといって学びたいものはなく(この時点で勉強ができないので医者や看護師などの選択はない)それならせめて好きな美術を学ぶなら4年間大学通えるかなという感じで、大学に行くこと自体が目的となっていた。その先なんて、就活で迫られてやっと考え出すという調子だ。

 

医療事務の仕事自体は、医療に興味があれば覚えるのに苦なところはないし、やることは決まっていて、成果を出すのにオリジナルな考えは一切求められない(というか出したらいけない)。僕は愛想よくニコニコしながら接客できる人間だったので、受付をやるスキルはすぐ身についた。

 

なので美大で培ったものはほとんど使わない仕事について現在に至る。で、後悔のない選択だったのかというと一言では終わらないのでまたそれは今度。

失敗を供養するために書く

失敗したことや、嫌だったことをずっと覚えているタチだ。

そしてなるべく忘れたいので、それを思い出すものは捨ててきたし、SNSにも愚痴は書かないし失敗談そのものは書かない人に話さないで生きてきた。

でも忘れられないし、ああ自分はダメなやつだなぁと思ったままだった。何かの拍子に思い出したり、夢に出てきちゃったりして、そのたびにモヤモヤして自分は出来が悪いなと落ち込むのだ。

そろそろ、そんな失敗だらけでうまく生きれない自分を受け入れたくなった。というかいい加減生きづらくなってきたのだ。うまくできないくせに完璧主義っぽくて、見栄っぱりで、人のために尽くすことをよしとしていて、自分のことをよくわかっていないまま、とうとう体調を崩してしまった。このままあと50年くらい生きるのか、先長いな。なんかもっと気楽に生きれないかな。

そのために人生の失敗談と日常の思ったこと感じたことを書くのもいいんじゃないかな、とネットを供養の場に選ばせてもらった。僕の思考の成仏に付き合ってくれたら幸いです。