美大卒が医療系で働いている話

アラフォー女子(子?)美大スキルを消失しながら医療系で仕事をする

死は身近だと実感するべきか

タイトルが仰々しいが今死にたいとかそういう話ではないのでご安心を。この言い回し「死が身近ですか?」はなんか好きだ。NHKのノンフィクションでphaさんや小林銅蟲さんが出ていた回で、インタビュアーが言ったセリフだ。「単純に死ぬことには気を付けている」と言っていた出演者にこう放ったのがなんかツボで、ずっと覚えている。

 

先日、夫の姉が亡くなった。まだ40代だった。その一週間後に、私の祖父が亡くなった。こっちは90代の大往生だった。でもまさか、一週間で2人もの死に触れることになろうとは。祖父は年齢が年齢だし、入院をしていたのでそろそろかもしれないと思っていた。義理の姉も、ご病気で長くないことはわかっていた。わかっていても、死は実感し難い。こんなとき精神にくるのか、訃報を聞いたときはクラクラしてめまいが悪化したように感じた。

 

メニエール病のめまい発作を繰り返していたとき、これが死ぬまで治らなかったらどうしようと思っていた。発作が起きなくなってきても、日常生活がなかなか取り戻せず(今も休職中であるし)自分は何のために生きているんだ、つらい。と思っていた。平均寿命まであと50年くらいあるし、どう生きていけばいいんだと。先に親は死ぬし、夫に頼るのも申し訳ないし、長い。どうしようと。

 

しかし死は誰にいつ訪れるかわからないと、今回のことで少し実感した。方や大往生。方や若くして病死。自分がどっちであってもおかしくない。

人生とは。

先々に何があるかわからないとはここ数年で実感した。20代は割と好き勝手やれたし、結婚もできた。海外旅行もした。結婚したから実家を離れて、家事などのスキルをどうにか身に着けようとがんばっていた。結構先が明るくて、あの時は先々のことなんて深くは考えてなくて、せいぜい数年先までのことしか考えてなかった。そしたら言わずもがなコロナのせいで世界は変わり、自分も病気してしまった。

 

今は体調が万全でない為か、40代、50代、60代になる自分が心配でたまらない。めまい発作の時に動けなくて、お手洗いからベットに横になることからすべて介助してもらった経験が、まるで高齢者になって介護されている気分になって、「これがいつか来る未来か」と思っていた。もしかしたら頭もはっきりしなくなって、ここまで苦痛を感じないかもしれないけど、頭だけ冴えてる老人もいるから、なんとも言えない。ただ生きるってつらいなと思っていた。

死を意識することで今を大切にできるみたいな言葉はよく聞く。

いい意味でそういう風に死を捉えられたら良い。今の自分は、まわりに死が続いて、自分自身も微妙に体験してしまって、中途半端に死を考えてしまっている状態かもしれない。今を大切に生きる、とはなにか。ずいぶん回復してきたけど、まだ万全ではないし、もしかしたら以前のような何も気にしなくていい万全、なんてこないかもしれないのに。体調が悪い今、をどう過ごしたらいいか。よくわからないまま、初発から四か月くらい経とうとしている。

 

ふとした時に、早くして亡くなった方の記事や、書籍などを見るとこがある。34歳で亡くなった小説家の伊藤計劃さんについてまとめたムック本や、さっきはネット記事で40歳後半くらいで亡くなったサッカー選手の柳 想鐵さんについてを読んでいた。一昨年は私の友人が50手前で亡くなっていて、その人のTwitterが残っているので、ふとした時に目に入る。

もう少しいい意味で死が意識できることで、今生きることが大切であることが身に染みるようになりたい。また本を読んだり、思考をすることで前に進めたらと思う。

 

それにしても、葬式は雰囲気で泣いてしまうから困る。もし関係の薄い人の葬式であったとしても、泣いている人を見て泣いたり、悲しみを演出するあの雰囲気で涙が止まらないのだ。故人を思って純粋に泣いているのか空気で泣いているんだか。故人との距離感で涙の量を決めたいものだ。こればかりは子供のときからそうなので私の気質っぽいが、年を取ったんだからもう少しどうにかなってほしい。